2010年08月24日
いい女への道~「女」であること意識できていますか??~
こんにちは~
スガイクです
(画像はコチラからお借りしました
)
まだまだ残暑が厳しく、外出で久しぶりに滴る汗をぬぐっていました
待ち行く女性が涼やかにハンカチで汗をぬぐう姿を見て、おもいっきり「あつ~い
」という表情をしていた自分にはまだまだ周りを意識した女性らしさが足りない・・・と反省しました(笑)
今回は、子育てをしながらお仕事をしていて、一緒に女磨きをしている方の気づきを紹介したいと思います。それは、「母である前に『女』であることを忘れていた」というものです
つづきもぜひ読んでくださいね
いつもありがとうございます
母である前に「女」であることを忘れていた (るいネットより)先日娘を連れて、感トレを一緒にさせてもらっている女子メンバーと電車で花火を見に行きました。その前日、娘は熱が下がったばかりだったので、最初は出かけることを躊躇していました。しかし、本人も「みんなと行きたい。」と言ってくれたので出かけることにしました。
病み上がりなので案の定↓ご機嫌ナナメ↓
お腹が空いていなくても「お腹空いたぁ~。」としかめっ面で繰り返す。
手を引こうとすると「一人で歩く!」とご立腹。
そうしている内につまづいて転び、大泣き。
抱きあげても「もう、やめて!」とのけ反る。(笑)もし家で2人っきりのときにこれをやられたら
「じゃぁもう勝手にしなさい!」と突き放してしまっていたでしょう。
そして突き放された娘は悲しくてまた大泣き…
…という悪循環に陥っていたと思います。しかし、この日は私も大きく娘を受け止めてあげることができました。
娘をなだめ、とにかく抱きしめて、ただただ受け止めました。
満員電車の中で、14キロある娘も腕の疲れを感じることなく
抱っこし続けられたのです。自分でも驚きでした。なぜそれができたのか…
…それは、一緒に女たちが居てくれたからでした。みんなが私たち親子を優しい眼差しで見てくれていたり
近くまで歩み寄って一緒に娘をなだめてくれたり
私の荷物を代わりに持ってくれたり……何だかとても安心しました。
安心して、娘を受け止めることができました。---
私はその日以来、ずっとその日の事を思い返していました。
みんなと一緒にいると、自分に限界が無いように感じるのは何でだろう。
安心して、娘の真っ直ぐな期待に応えられたのは何でだろう。
家で2人っきりの時はできないことが多いのに。
どうしても自分の感情が先に出てしまう。
だけどそれでは娘も私も充足できないことを感じている。
どうにかしたい……。そんな想いを抱えていると、感トレの日がやってきました。その日のテーマは「女として期待されたことを思い出して謝罪と感謝」でした。私はずっと娘とのことを考えていたので、花火をみんなで見に行った日のことがすぐに浮かびました。
目に浮かんだのは、みんなが私を優しく見つめる表情ばかりでした。みんなのその温かい眼差しから私が感じ取っていたこと……それは「私が女であること」でした。
みんなと一緒に居る時、私が娘をただただ受け入れられたのは、自分が女であることを、みんなに感じさせてもらっていたからだったのだと気付いたのです☆「女とはどんな存在か」を一緒に学ばせてもらい、女に期待されていることが何かをみんなで共認しているからこそ、「いつも女として期待されている」ということをみんなの存在から感じ取っていたのだと思います。それに気付き、ふと思いました。
「…あ、私、みんなと離れたら自分が女だってこと忘れてたから、娘に対してイライラしてたんだ。」そうすると色々なことがスッキリ繋がって、子育てでも、ただただ女としてみんなの期待に応えていけば良いんだ!という活力に変わりました♪私は女。
「女は充足存在」という根本規範を、もっともっと体に浸透させて、もっともっと充足を積み重ねたいです。
この気づきは、子育てでも職場でも一緒ですよね
周りのみんなは「女」として答えることに期待してくれている
こうやって転換できたら、女本来の応える力を発揮できるのですね~
- by sugaiku at 22:30

コメント
>周りのみんなは「女」として答えることに期待してくれている
「女」としてみんなの期待に応える女は、すべてが可愛い☆
だから男やそして周りをやる気にさせる充足存在なんですね!!
江戸しぐさでは、
汗を流している人を見たら、「汗すごいですね」と声をかけるのではなく、さっと冷たい手ぬぐいを差し出していたそうです。
相手の状況を察して、即実行。これが江戸しぐさの特徴の一つですが、「男」「女」の規範を再生していく上で、参考になりそうなものは多そうです。
いい話ですね。
こちらが余裕が無かったり、焦っていたりすると、余計に子どもは言うことを聞いてはくれません。
周囲が暖かく受け入れてくれたら、余裕がうまれて、子どもを大きく受け止めることができる。受け止められたと感じた子どもは落ち着く、ということですね。
それにしても、優しく見つめてくれたその周りのお友達は、本当にすごいと思います。
「なんでこんな場に子ども連れてくんの?」「病み上がりの子を満員電車に乗せるって、その判断が間違ってる」「周囲の客にも迷惑、仲間と思われたくない」となってしまうのが普通でしょう。
私も、事情があって通勤電車に娘を連れて乗ったことがありますが、「なんなんよ!」という周囲の白い目圧力は相当なものでした。
新聞によると、最近、ベビーカーで電車に乗る母親に対する周囲のバッシングも増えているようです。
イライラしたり虐待したりする母親の問題が急浮上していますが、この問題も、周囲の無理解や非寛容が強くなっていっているのが一因なのではないかと思います。
逆に言えば、そのように大きく受け止めてくれるお友達は、いったいどうしてそのようにできるのか(同じ母親をやっている人でさえ、一般にはそのように寛容ではない。特殊な気がする)、その秘訣というかどうやってそうなったのか、非常に興味があります。
みららさん、コメントありがとうございます♪
こうやって、男・女の役割を分かり合えている関係って組織を強くするんですね~☆
可愛いなんて日常言われていたり、感じていたらなんだって頑張れちゃう気がします☆
羊熊さん、コメントありがとうございますvv
>相手の状況を察して、即実行。
江戸しぐさって、相手に一番フィットする行動なのですね。これも、相手にどれだけ想いを馳せられるかにかかってきますね♪
この行動規範は、昔に学ぶところは多そうです☆
江戸しぐさ、参考にしてみますv
雅無乱さん、コメントありがとうございます☆
>周囲の無理解や非寛容が強くなっていっている
のもあるかもしれませんが、私達の周りのみんなは、少しずつではありますが、「みんなにとっての子ども」として受け止めているからなのかな~と思います。
自分の子ども、誰かの子どもと分けてしまうのではなくて、子どもは誰にとっても子ども。
あとは、その子のことをお母さんがよくみんなに教えてくれるので、甘えてる時の様子や成長したところなどいろんなことを知っているから、受け入れられるというのもあるかもしれません。
それができるのも、記事の最初にある「感トレ」(感謝と謝罪のトレーニング)を通して、女達でさまざまなことをすり合わせてきているからなのだと思います♪