2009年12月05日
【企業が取り組む社会事業シリーズ 4】企業にも認識供給が期待されている
【企業が取り組む社会事業シリーズ 3】必要なのは「次代」を読むための構造認識では、
「何のためにその仕事をするのか?」「何のために会社にいるのか」根本共認の形成が不可欠で、そのためには構造認識が必要。
これは、社会事業でも同じという話が出て来ました。
期待に応えると相手が喜ぶ![]()
→相手が喜んでくれると自分も嬉しい、活力が湧く
→言われたことだけをしていると、相手の期待=欠乏に応えられない
それでは充足出来ない
→社会=人々が何を求めているのか期待を捉え掴んでいく必要がある。
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逆に、ココが分からない企業は淘汰されていきます。では、人々は何を求めているのでしょうか?
新しい認識が、どうやって企業の社会事業に繋がっているのでしょうか?
オススメの記事を紹介したいと思います
>人々の認識(潜在思念と構造認識)が外向収束した人々の協働によって形成されるその在り様こそ、集団を超えた社会空間における本源共認の、(人類史上)最初の実現形態に他ならない。社会が求める認識を紡ぎ出していく場。こうした場=実現形態を創り出していくにあたり、その供給源として最も近い位置にいるのは「企業」ではないかと思う。
この世にある全ての企業は、今までも社会から強烈な評価圧力を絶えず受け続けてきた。そうした状況下で、企業戦略という名の構造認識を駆使して人々の期待を掴み、社会からの評価を獲得し続けてきた(結果、収益を上げ続けてきた)企業が、今も生き残っている。
豊かさが実現されて久しい現在において、単なる”モノ”の供給だけでは社会から評価されない現実は、企業も痛いほど理解している。そして人々の欠乏が人つながり⇒仲間欠乏へとシフトしていることにも、企業は気付いているはずだ。
しかしながら、まだ大多数の企業は、『仲間欠乏=答え欠乏』に気付いていない。”目先の人つながり・仲間充足”を付加価値とする新たな”モノ”の供給に留まり、現代社会が求める本質的な欠乏≒期待に、ダイレクトに応えようとしていない。今や社会は”モノ”ではなく、これからを導いていく”認識”の供給を待ち望んでいる(”モノ”の価値は、場の形成にどれだけ貢献しているか、という評価軸に規定される)。
人々の潜在思念を構造的に捉え、形にして社会に供給し続ける。これが、社会が企業に求めてきた、普遍的な期待≒評価圧力の中身ではないだろうか。確かに、社会が求める認識を形づくり、供給していくのは難課題であるが、言い換えれば現代はまさに、長年企業が磨き続けてきた力を試す絶好の機会ではないかと思う。
上記記事より
<供給には段階がある>
①単純に物の供給
②類的価値を付加したもの
③類的価値そのもの=認識
→③の供給が企業へ求められていることが分かります。
では、認識がどうやって市場に乗るのか?
現状を押えてた上で何が必要となるか考えていきたいと思います
次回もお楽しみに
- by ikeyuki at 20:00
→相手が喜んでくれると自分も嬉しい、活力が湧く
→社会=人々が何を求めているのか期待を捉え掴んでいく必要がある。 



コメント
もう、物はいっぱい持ってる!
けどなんか欲しくなるのは、「類的価値」がつけられていたからなんですね☆
それもその中身が"みんなとつながれる”ということになるほど~~☆★と思いました♪♪
なんとなく感じていることも、こうやって3段階に分かれているとすごいわかりやすい!
次どうしたらいいのかも見えやすいですね☆
前回のシリーズでnandeyanenさんもコメントされていますが、いまの若い人は、市場といっても、人並みに生活できる程度の稼ぎがあればいいという次元のようです。
かつての騙してでも儲けようという価値観ではないので、市場に乗るということも、現実の生活に密着するという意味で捉えるべきなのかもしれませんね。
>①単純にモノの供給
>②類的価値を付加したモノ
>③類的価値そのもの≒認識
供給のほうがそうである通り、市場拡大の原動力たる需要(≒欠乏)のほうもこの3段階ではないでしょうか?
①~②で物的飽和=供給過剰状況になっているにもかかわらず、相変わらず無駄とも思える政策や資本投入によって、【無理矢理拡大】を図ろうとしているのが旧統合階級。
それに対して『新たな需要』発掘の試みも始まっています。
そこでは、>今や社会は”モノ”ではなく、これからを導いていく”認識”の供給を待ち望んでいる<のだということを、みんなの潜在思念は捉えている証拠だと思います。
無理矢理モノに結び付けなくても、その認識そのものが求められている。