2009年11月21日
【企業が取り組む社会事業シリーズ 2】社会起業家の自己矛盾
アショカ財団HPより借用させていただきました。
【企業が取り組む社会事業シリーズ 1】みんなの役に立つこと=仕事 で始まったシリーズの第二弾は、
社会貢献=みんなが求めているもの ならば、なぜそれが市場に乗らないのか?
みんなに役に立つ活動だからこそ、ひとつの事業(=仕事)として成り立たせる必要があるのではないか?
という疑問に対する答えとなりうる 『社会起業家』 を取り上げてみます。
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るいネット「社会起業家の歴史・各国の状況①」からの引用です。
そもそも、社会的企業を興す社会起業家とはいつ頃発祥したのか、 『社会起業家的思考のまちづくり(名古屋市立大学人文社会学部人間科学科 阿部沙織さん、指導教官 成玖美)』で紹介されていましたので、引用します。(以下、引用)
○社会起業家の発祥
社会起業家の発祥は、1980年代のイギリスあるいはアメリカであるとされている。斉藤槙、町田洋次らは、社会起業家とう概念はイギリスにおいて、福祉国家に変わって自立型の福祉システムを構築していく存在、停滞した社会を活性化する存在として注目され、広がっていったとしている。一方、渡邊奈々の説では、「ソーシャル・アントレプレーナーの父」と呼ばれるビル・ドレインなどがさきがけとなり、1980年代初めに米国で生まれたコンセプトが社会起業家であるとしている。アメリカでベンチャー・フィアンソロピーという社会福祉型ビジネスを支援する事業「アショカ財団」を創立したビル・ドレインの記事によれば、財団の基盤となるアイデアが生まれた背景は次の通りである。
18世紀末に英国で起こった産業革命が世界に広まって以降、社会は消費・経済活動を行う「消費セクター」と呼ばれる部分と、教育や公共福祉、さらに環境など「社会セクター」と呼ばれる部分に分断された。この「消費セクター」と呼ばれる部分では、競争が激化する一方で、起業精神も活発になる。生産性を高めた起業には、より多くの富が集まるようになった。しかし、消費セクターが力を強めれば強めるほど、税金に支えられてきた社会セクターは競争による進化と発展から取り残されてしまった。本来切り離されるべきではなかった、この「消費セクター」と「社会セクター」の断絶を取り除き、両セクターを融合すれば、各セクターの可能性は倍々に膨らんでいくはずなのである。
この「断絶されていた経済活動と社会活動を再び統合する」という試み、それが社会起業家の始まりである。人が生きるために必要な収入と、福祉や環境、生きがい。そういった今まで分離して考えられていたものを、始めから総合的に捉えていこうとすることが社会起業家の根源的発想であるといえる。
それ以外にも『社会起業家』と言われている組織と活動内容を続けます。
●NPOエティック
日本における社会起業家育成の先駆けと言われており、アショカ財団と同様、次世代を担う起業家型リーダーの育成を目指し、起業家を志す若者に対して、様々な実践と成長の機会につながるプログラムを提供している。
具体的には、ベンチャー企業や大手企業の新規事業部などで学生が責任あるポジションで事業の成功に貢献することを目指すインターンシップ事業、社会起業家を志す若者の事業プランのコンペティション、大手企業の協賛の下、社会事業を立ち上げる若手社員を支援する社会事業塾、さらに、地域の経営者と若者が連携するプログラムにより地域を活性化しようとするプロジェクトなど、起業家育成を軸に若者・企業・地域を繋ぐプログラムを次々に展開している。
次はそのエティックのHPからの引用です。
●ボディショップ
環境問題・動物愛護・途上国支援・人権擁護… すべての活動はキッチンから始まった現在では、世界中の街で見かけるようになった自然派化粧品「ボディショップ(The Body Shop)」。そのはじまりは今から25年前、イギリスの一人の主婦が、自宅のキッチンで、フルーツなど身近な植物を使って、化粧品を作ってみたことだった。
その主婦の名はアニ―タ・ロデック。彼女は以前から、ウサギなどの小動物を実験で利用し化学薬品を原料とした製品を作る既存の大手化粧品会社や、過剰包装を行う販売会社に不満を抱いてた。そんな彼女がタヒチを旅行した時、さとうきびを噛んでいる現地女性の肌が絹のように滑らかだったことに驚いた。そして、この体験をヒントに、自然にある植物の天然成分で化粧品を製造することを思いついた。
創業時から、最小限のパッケージで販売し、環境にも配慮。また、動物実験による化粧品開発に反対し、趣旨に賛同した人々とともに人による安全な代替実験を進めた。さらに、全ての女性が画一的にスーパーモデルのようなスタイルを目指すのではなく、「ありのままの自分を好きになろう!(Love your Body)」という「セルフ・エスティーム」のコンセプトも提案した。「しわがとれる!」「やせる!」などといったセンセーショナルな売り文句ではなく、健康的な美しさを保ち、自分らしさを引き出す大切さを、ひとりの女性の視点で訴えた。
このようなアニ-タの考えに、多くの女性が賛同し、ボディショップはヨーロッパを中心に大ヒット。店舗数も急拡大した。結果として、知名度の向上と原料の大量仕入れによるコストダウンが可能になり、利益率の向上につながっている。
店舗の急拡大にも関わらす、ボディショップは、その姿勢や、自然であることへのこだわりを見失わず、既存の大企業とは一線を画し続けた。化粧品を使う、一人ひとりの女性に対して常に誠実であることに価値をおき、新製品でも大規模な広告は一切行わず、その代わり、商品価格を抑えている。
●ピース・ワークス
「紛争解決」がおいしいトマトペーストの隠し味!ピースワークスは「より多くの利益が、より平和な世界を導く」をモットーに活動している営利企業。紛争中の地域を経済的に結びつけ、利益を共に得ることが相互理解を深める、と考えたダニエル・ルベンツキー(Daniel Lubetzky)氏により設立された。
93年に氏がイスラエルを訪問した際、紛争によりパレスチナ原産の原材料が供給されないために、大好物の「乾燥トマトペースト」が生産中止になっていたのを知り、事業の再建に着手したのがきっかけ。PeaceWorksの事業は、あえて原材料をパレスチナから仕入れ、イスラエルで加工することで、両地域を経済的に結びつけ、相互理解を促進する。そして、その製品をアメリカなど先進国で販売し、収益をあげるという流れである。また、事業のパートナーである現地の企業には、資金的、技術的な支援を行なっている。
紛争地域の経済の活性化に貢献できるだけでなく、高品質な商品であることから、高い市場競争力を持って事業を順調に拡大。現在では食品だけでなく衣料品も扱う。収益金の一部は、紛争地域で住民の対立感情を緩和するために活動しているコミュニティ団体への寄付金となっている。
他にもたくさんの社会起業家の事例はあるが、概ね次のような共通項がある。
①市場化されなかった領域で、新しい「みんなの意識」を追い風に事業を作り出す。
「社会のためになることをしたい」というのは新しい「みんなの意識」である。
それを基盤に生まれてくるのが、「社会起業家になりたい」「環境を守りたい」「紛争解決に一役買いたい」といった意識である。それは個人、企業を問わない。
社会起業家はそれら先端の意識を捉えて、社会のためになる事業を構想、その事業に対して企業や公共から賛助・協賛を募り、それを原資にして個人に必要な経費を支払うことで事業化するのである。
②市場で勝つために、新しい「みんなの意識」を基盤に幻想価値を作りだす。
幻想価値によって儲けの最大化を図る、というのは市場の行動原理であり、社会起業家も市場を土俵とする限りはその枠から外れることはできない。
だから、社会起業家は、新しい「みんなの意識」を基盤にした「地域活性化」「ありのままの自分を好きになろう!」「自然であることのこだわり」「収益金の一部を寄付」「紛争解決」といった幻想価値を付帯させることで市場での商品価値を高めようとするのである。
ちなみに「社会起業家」という言葉も幻想化されていると考えたほうがよい。
③市場の住人(勝者)になると「社会起業家」ではいられなくなる。
社会起業家が目指すのは、市場に取り残された領域=「社会セクター」で「起業」することで、新たな「市場」の創造することである。
実際、社会起業家の先駆けであるアショカ財団の代表・ビル・ドレインはCO2排出権取引を考案した人物で、その意味では市場創造のプロである。
ところが、市場を土俵にした途端、『目的』は「市場で勝つこと」になり、当初の志であった「社会のため」という考えは、幻想価値づくりの『手段』になりさがるのである。
先端のみんなの意識を基盤に事業化するのは確かに新しい。
しかし、 「市場」を土俵にする限りは、事業が上手くいってもいかなくても早晩「社会起業家」ではいられなくなるという自己矛盾に社会起業家は陥るのである。
そこで、みんなに役に立つ活動をひとつの事業(=仕事)として成り立たせるためには何が必要かを次の投稿で考えていきます。
- by titida at 23:54

コメント
「企業が取り組む社会事業シリーズ」面白そうですね!
「社会事業」っていうと、すぐ『なんで屋』さんを連想しますが、書かれている“社会起業家”っていうのも、2000年頃から話題になっていましたよね!?
確か「スタイル2000」と銘打って、大学生が起業を促進しよう!という活動を始めたのが、紹介されているエティックの母体だったと記憶しています。
起業したい!という学生から事業企画を公募して審査~評価を得た企画者には助言者をコーディネート、最終的に事業として実現できそうであればスポンサー(資金)もコーディネートしていく、というような活動だったと思います。
当時は、学生の起業意欲も高まって「これはすごい!」と感じましたが、改めて実現例を見てみると、営利事業での収益を、弱者に還元するというスタイルが大半で、これで「社会起業家」って言えるの??って感じですよね?
罪滅ぼし(≒免罪符)のため慈善事業をやっている、金融資本家と大して変わらないような…
“事業としてみんなに認められる=市場にのる”
ってイメージでした!
社会の役に立ちたいって思いがあっても、
それをどうしたら実現できるのか、
その想いを仕事にできるのか?!
この続きの追求楽しみにしています!!
>市場の住人(勝者)になると「社会起業家」ではいられなくなる。
この言葉が現在の社会起業家を表す言葉として象徴的だと思いました。
また、「起業」を前提にしなくても社会事業を行なえる環境(+人々の意識の高まり)を作り出していくことが重要ではないかと思いました。
具体的な事例と、①、②、③とまとめられてて分かりやすいです。
みんなから必要とされる事業にお金は払われないから、事業として成り立たせることが難しいということなんでしょうか?
結局は幻想価値をつけたモノの供給に留まっているのが、違う感じがします。
nandeyanenさん、コメントありがとうございます。
社会起業家育成という事業の需要は尽きることがないという点で、賢い経営方針だと思います。
しかし、一般の社会起業家は成功すれば企業家になり、成功しなければ消え去るのみで、いずれにしても社会起業家で有り続けることができない構造にあるのだと思います。
みねこさん、コメントありがとうございます。
これからの活力ある企業=みんなが働きたいと想う企業の「かたち」をこのシリーズで明らかにしていきたいと思います。
ご期待ください。
andyさん、コメントありがとうございます。
社会(みんな)から期待されているのは、「起業」ではなく、本当に必要な社会事業の選別とそういう有意な事業が継続できる仕組みづくりでしょう。
そのためには、まず、社会共認の形成が必要であり、その先には政治的イニシアチィブが欠かせないのではないかと考えています。
ゆうこさん、コメントありがとうございます。
>みんなから必要とされる事業にお金は払われないから、事業として成り立たせることが難しいということなんでしょうか?
みんなが必要を認めれば、個人・企業・公共(税金)から必ずお金は集まると思います。
そこに至るための課題は「みんなにとって必要か否か」という判断を鮮明にし、そのことを共認することであり、その過程でみんなに必要ないものは淘汰されていくと思います。
『社会起業家』という言葉を読んで、「ん?なんか引っかかる・・・」とモヤモヤを感じました。
その答えは、ココにありました。
>社会起業家が目指すのは、市場に取り残された領域=「社会セクター」で「起業」することで、新たな「市場」の創造することである。
『社会』という言葉を用いると、「何か社会にとってイイコトをしてくれるんじゃないか」という期待を抱きがちかもですが。
結局は「市場」が目的となっている。
モヤモヤの理由がわかって、スッキリしました♪
これからの追求も、楽しみにしています☆
ふぇりちゃん、コメントありがとうございます。
「社会」という言葉は「みんなのため」という意味を付帯しており、私権=「自分のため」の対極にあります。
だから、社会起業家・社会福祉・社会事業……と私権時代に使われる「社会」という言葉には怪しさがあるのだと思います。